2年吉田さん 人権作文を発表
平成28年度北部地区人権教育実践発表会
3万数千点の作文の中から、本校2年の吉田智咲さんが、6名の代表に選ばれ、
本日埼玉工業大学講堂を会場に人権作文の発表がありました。
たいへん立派な態度で、作品を披露してくれました。
「一足のくつで一つの笑顔」
2年1組 吉田 智咲
私は今年の春休み、初めて海外へ行った。
場所は、ミャンマー。「なぜミャンマー?」と思う人も多いだろうが、私達家族は発展途上国と呼ばれているこの国を選んだ。
きっかけは、新聞に載っていた「ミャンマーの子どもにくつを届けよう」というボランティア募集の記事。くつを持って、真っ白な歯を見せながら笑っている子ども達の写真が、私の目と心を離さなかった。
ボランティアの代表の方は、フィリピン旅行時、スラム街で「マネー」と言いながら集まってくる裸足や裸の子ども達を見たそうだ。屋外を裸足で生活していたら、当然ケガをし易いし、さらには衛生的とは言い難い環境で破傷風になり、命の危険にもつながるだろう。
その光景に衝撃を受け、子ども達に対して自分にできることはないかと考えている時に、五輪金メダリストの高橋尚子さんがアフリカの子ども達にくつを贈る活動をしていることを知り、これなら私にもできると思い、このボランティアを始めたそうだ。
すぐに電話をかけ、私達は、活動の第一歩である全国から集まったくつや文房具を仕分けする作業に参加させて頂いた。
しかし、待っていたのは、私が想像していた優しい心だけではなかった。
絶対に使えないであろう短い鉛筆。黄ばみやしみのある、破けた古いノート。壊れた鉛筆や使いかけの消しゴム。さらにはゴミまで同封されたダンボールもあった。
おそらく貧しい国なのだから、「こんな物でも喜んでもらえるだろう。」という思いなのだろう。当然、心のこもった物もたくさんあったし、中には活動を応援する手紙まで添えて下さる人もいた。その気持ちもわかるが、複雑な気持ちになった。
仕分け作業から約一ヶ月。私は日本を飛び立ち、ミャンマーの空港に立った。聞いたことのない言語が飛びかう中、周りを見渡すと私とは違う肌の色をした人ばかりだった。改めて外国に来たなぁと実感した。
私達は滞在中、二つのお寺を訪問した。ミャンマーでは、お寺が学校や孤児院の機能を果たしている。それも、無料でだ。この国は仏教の信仰がとても厚く、誰もがお寺にお布施を行っており、それを財源としていた。
到着してすぐにお寺の中にある学校や孤児院を見学させて頂いた。学校といっても壁のない青空教室もあった。孤児院の中は、一人一畳ほどのスペースの板の間で、何十人もの子ども達が生活をしていた。
次に私達は、お寺の子ども達との交流活動として、なわとびや綱引きを行った。日本の文化を知ってもらうために、特技である空手の型を披露し、指導する時間も頂けた。ミャンマーの子ども達は終始笑顔で接してくれ、言葉が通じなくても、一緒に体を動かすことで、国を超えた友情が生まれたように感じ、本当にうれしく思った。
日本と比べると、決して豊かではない環境の中、両親と別れて暮らしているにも関わらず、太陽のような笑顔でたくましく働き、学ぶ姿勢に胸を打たれた。
日本から贈られたくつと文房具をダンボールから出していると、お寺の子ども達が好奇の目で集まってきた。身ぶり手ぶりで足のサイズにあったくつを一緒に選び、新品の文房具を手渡すと、はにかむような笑顔で受けとり、友達の中へ行き、はしゃいでいた。
そして、さらに驚いたのは、ボランティアの代表の方が、おてらの責任者の僧侶さんに、「この活動がご迷惑になっていませんか?」と尋ねたことだ。自分たちが良かれと思ってやった事でも、相手にとってはそうではないこともある。先に書いた使い古しの文房具のような、独りよがりの偽善にならないように、常に配慮しながら活動を続けているのだと知り、私は日々の生活の中でもその思いを忘れてはならないと痛感した。
新聞記事を目にするまでは、発展途上国の子ども達のためにできることが私にあるのか、などを考えたことがなかった。どこか遠くの事だろうと知ろうともしなかった。
今回の経験から私は、世界の子ども達のために、現地には行けなくても、「今、誰かのためにできること」があるのだと改めて感じた。
まず私ができるのは、周りの人に伝えることだと思った。個人にできることはほんのわずかな事だから、意味がないと感じる人もいるだろう。だが、一人一人が力になろう、できることはあるかな、という気持ちが繋がれば大きな力となり、世界の子ども達の笑顔と人権を守ることができるのではないだろうか。
「一足のくつで一つの笑顔」
この言葉を、少しでも多くの人に広めていきたいと思う。